伊東篤宏は98年から現代美術のシーンでサウンド・パフォーマンスを開始し、自身のインスタレーションのマテリアルである蛍光灯の放電ノイズを出力する自作音具「OPTRON」を制作する。美術家として音楽表現にアプローチしてきた人物である。そんな、美術家であり、OPTRONプレーヤーである伊東が〈BLACK SMOKER〉から発表したソロ・アルバム『Midnight Pharmacist』がかなり面白いことになっている。音楽的にざっくりと言えば、ポスト・パンクの実験性と現在のゲットー・ダンス・ミュージックの快楽性をミックスしたアヴァン・ヒップホップ・アルバムと形容できるだろうか。薄汚れた路上と現代美術のギャラリー、原始と文明の間を往復していくような、過去と未来を同時に感じさせるような、ユニークな作品に仕上がっている。

 いずれにせよ、ここ数年、活動の領域を広げてきた〈BLACK SMOKER〉と伊東が出会うのは必然だった。伊東は、THE LEFTYやTHINK TANKとも凄まじいライヴ・パフォーマンスを演じている。11月上旬にはTHE LEFTYをフィーチャーした“Black Pharmacy” がアナログ・カットされる。このインタビューでは、〈BLACK SMOKER〉、パンク/ニュー・ウェーヴとの出会い、美術家としての活動遍歴、ギャラリー/フリースペース「OFFSITE」、そして、新作について、大いに語ってもらった。伊東篤宏のロング・インタビューをお送りしよう。







-----〈BLACK SMOKER〉といつどこで出会ったのか。そのきっかけから教えてもらえますか。

〈BLACK SMOKER〉の存在はけっこう前から知っていました。数年前に六本木の「Super Deluxe」で東野祥子さん主宰のBABY-Qのステージでいろんなアーティストが音を出していくライヴがあったんです。そのときに、K-BOMBと初めて会った。本人がどう思っているのかは別として、〈BLACK SMOKER〉の看板を背負っているのは彼だと思っているので、オレは感激したわけですよ。そうしたら、向こうもこっちのことを知っててくれた。「一度生で観たかったし、いっしょにやってみたかった」って言われて。「あれ!? こんな怖そうな兄ちゃんからこんなこと言ってもらって嬉しい」って(笑)。そこで、K-BOMBといきなりいっしょにやったんです。



-----いきなり共演したんですね。

そう。そのあと、ライヴ会場とかあちこちで会うようになった。で、なんかのときに、ヒップホップもやってみたいという話をオレがしたんだと思う。そしたら、JUBEくんから「THINK TANKといっしょにやりましょう」って言われた。いきなりハードル高いなって思いましたよ。THINK TANKはわりとかっちりとヒップホップのフォーマットでやってるじゃないですか。K-BOMBとのデュオとかだったらまた違うじゃないですか。オレは彼にもちろんヒップホップの要素をすごく感じるけど、フリー・ジャズ的なインプロヴィゼーションの要素や、アヴァンギャルド・ミュージックの要素も同時に感じる。だから、わりとやり易い。それはオレがやってきた系譜とリンクするところが多いという意味です。あ、でも、THINK TANKとやる前に池袋の「bed」でやったEL NINOに呼んでもらって、THE LEFTYとやったんでした。



-----最初にTHE LEFTYとやったときの印象はどうでした? 

やり易かったですよ。オレも彼らのやり方がそこまでわかっていなかったし、距離感がまだ少しあったから、改善の余地があるなとは思ったけど、ぜんぜん違和感はなかった。やっぱ、カオティックにはなったけどね(笑)。



-----OPTRONは打楽器だと思うんですよね。それがTHINK TANKやTHE LEFTYとの相性の良さにつながっていると思うんです。

おっしゃる通りで、ほぼそういう扱いになっています。ノイズで、ある種のパターンを乗せるという意味ではビート・ミュージック的なものを作りやすい。それは前々からわかっていました。自分のバンドでも、そういう使い方はけっこうしてきた。最初にK-BOMBとやったときもTHE LEFTYとやったときも、楽しくやれちゃいましたよ。



-----伊東さんはこれまでインプロヴィゼーションを数え切れないぐらいやってきたわけですけど……

 インプロヴィゼーションと言っても、いろんなタイプのものがあるし、即興性を活かしながらもけっこうコンポーズドされているものをやることもあった。そっちの方がキャリア的には長いです。



-----THE LEFTYやTHINK TANKとやることの、伊東さんのなかでの新鮮さや新しさはどこにありますか?

例えばTHINK TANKの場合、4人のMCでしょ、あれだけの声の応酬、MCの応酬でしょ。あの応酬はオレにとってすごい新鮮でしたよ。ヴォーカリストがいるバンドとのセッションは何度か経験しましたけど、彼らのMCは横で観ているとやっぱすごいですよ。声の熱気と言葉をくり出していくエネルギーが。それがヒップホップの醍醐味なんだけど、ステージにいてすごく楽しいのよ。お客さんがどう思っているかはちょっとわからないんだけど(笑)。オレ、楽しくなかったらやらないから。やってみて、「ああ、これ無理かな」と思ったらもうやらないですよ。だけど、やっぱり面白かったわけですよ。それぞれキャラクターがあって、声質も違うし、詩の内容も違うわけだから。構造的にはものすごくシンプルなものでしょ、ヒップホップは。逆に試されるというか。世の中にラッパーがこれだけいても、なぜ格の違いみたいのが出てくるのか、ラッパーのスキルはどこにあるのか、そういうことがなんとなく垣間見えた。



-----なるほど。

よく考えられていますよ。彼らは本当に勤勉にすごく言葉を選んでる。THE LEFTYは2人で交互にやっていくでしょ。あれは韻の踏み方も上手いんだけど、リリックの内容も対立関係だったり、共闘する関係の詩になっていたりする。オレが今回いっしょにレコーディングしてものすごい感動したことだった。“Black Pharmacy”のリリックは、THE LEFTYに歌ってもらったなかの部分でしかないのね。実際はもっと長いリリックなわけです。それをオレが切り貼りしたんです。なんとなく言葉の意味が通じるようになっているけど、もっとストーリーがあった。それは切っちゃった。それには理由があるんだけど、要するに、ほんとによくできてるんだよ。素晴らしいと思った。いまさらオレが言うまでもないけど、あの2人はスキルがめちゃくちゃ高いんだよ。あんなビートによく乗っかるなと思いました(笑)。



-----こう言ったら失礼ですけど、今回のアルバムで伊東さんは“トラック・メイキング”に挑戦していますよね。

もっとアブストラクトなものだと思ったでしょ?! ちゃんと曲を作りました。今回のアルバムのビートは全部オレが作りました。エディットとエンジニアをやってくれたmiclodiet と太郎ちゃん(野口太郎 @soup)のサポートがなかったらできなかったけどね。でも、トラック・メイキング、楽しいしけっこう好きっすよ。もともと、パンクとかニュー・ウェーヴから入って、とくにニュー・ウェーヴは70年代後半から80年代前半ぐらいまで、かなり実験的な曲作りやめちゃくちゃなことをやってたし、それ聴いて育ってますから。



-----どんなものを聴いていましたか?

 アメリカのものも聴いていたけど、やっぱり摂取量的にはイギリスやヨーロッパの音楽だった。ひととおり聴いていますね。スタジオや自宅で作ったものをライヴで再構成する、またはその真逆のやり方を実践してたいちばんわかりやすい例を出すと、ディス・ヒートや、キャバレーヴォルテールで、オレは確実に影響受けてます。ニュー・ウェーヴの時代に刷新されたことのひとつは、レゲエのサウンドシステム以外に、白人がスタジオを楽器化したということです。プロデューサーという名目の人がいて、その人がスタジオのシステムとバンドを掛け合わせてひとつのサウンドを作る。それで名うてのエンジニアが出てくるというのを目の当たりにしていた。レゲエ以外でダブの手法を使うやり方とかね。スタジオを楽器化する。



-----マーク・スチュワートはまさにそういう人ですよね。

そう。ポップ・グループやザ・スリッツ、ON-U関連はかなりタイムリーに聴いてた。だから、そういうやり方で何かを作ることに関して、何の抵抗もない。そのあと、大半の連中がエレクトロニクス化していって、さらに商業化していくわけですけど。それと打ち込みの機械が発達していく過程も目の当たりにしていた。スタジオからベッドルームへ、っていう過程。そういうのをタイムリーに聴いていたから。



-----それだけ熱心な音楽リスナーだった伊東さんが美術の世界に行ったのはなぜですか?

あの時代は音楽を聴いていても、音楽だけじゃなかった。映画監督や物を書く人間や美術家が入り乱れていて、相互関係を持っていた。いちばんわかりやすい例で言えば、セックス・ピストルズですよ。ファッションもあれば、デザインもあれば、バンドのキャラクターもある。もちろん、マルコム・マクラーレンっていうフィクサーがいたかもしれないけど、彼1人で作ったわけではなくて、それぞれの才能があった。ニューヨークでも、アンダーグラウンド・フィルムのムーヴメントとアンダーグラウンドの音楽がリンクしているというのが当たり前にあったわけで。



-----モロに当時のムーヴメントの洗礼を受けたわけですね。

高校生のときに、進路を選択するわけじゃない。オレは当時もちろんずっぱまりで、髪を立てたりしていた(笑)。でも、音楽だけやるのは違うなというのがあった。ジャケデザインから流通に関してまで、インディペンデントでやっている連中を見て、それをあまりにも真に受け過ぎたんでしょうね(笑)。結果、浪人もしたし(笑)。オレにしてみれば、素材が音になろうが、絵の具になろうが、紙切れのコラージュになろうが、発想的には変わらないというところから考えた。そこから、ちょっとだけ写真にするかどうか悩んだりもしたけど、絵を描くところからスタートすることにしたんです。



-----バンドはやってたんですか?

高校の頃に遊びでやったり、大学入ってからもちょっとやってましたけどね。あと、ガキの頃にピアノやったり、ブラス・バンドでホルンをやっていたんですよ。だから、ブラスものやファンキーなものとかレゲエもスカも好きですね。バルカン・ブラスみたいのがあるでしょ。ああいう音楽にも興味がありますね。管楽器は歴史の変遷から考えていくと、ものすごい面白い。エレクトロニクスは歴史とかじゃなくて、“ぶっ飛び”性において、いまこれしかないという音を作れるという意味で面白い。



-----では、美術の世界には“たまたま”いたという感じもある。

 こんなことを言うと格好良過ぎだけど、プロセスの一環だとは思っていました。他に選択肢がなかったとも言えますけど。別に楽器を熱心にやろうという気もなかったですし。あまり練習とか好きじゃない人だから。なんだろうね、いま思えば、完成されている楽器をやることに関して、これだけいっぱい素晴らしいアーティストがいるしなって(笑)。



-----人と同じことをやってもしょうがないと思った?

まあ、そうですね。なおかつ、パンクとかニュー・ウェーヴを突っ込んで聴いていくと、もっと以前のロックやブルース、現代音楽とか実験音楽もだんだん聴くようになるんです。そこにはいろんな人がいて、楽器そのものを作ってしまっている人もいる。さっきのプロデューサーの話もそうですけど、音を出して何かを作るというあり方が、別に1つの方法論だけ、音楽のアプローチだけで考えなくてもいいと。“なんでもあり”っていうのともちょっと違ってアイディアを活かすためにわざわざ妙な事やってみる、みたいな。“なんでもあり”というのはオレはぜんぜん好きじゃないんだけど、いまの世の中“なんでもあり”みたいになっちゃってるから困るんだけどね(笑)。素人芸っていうのともちょっと違う、いわゆるプロフェッショナルの人たちと違う視点から始めることに面白みがあったわけでね。音楽を音楽じゃないところからアプローチするとかさ。そういう発想でやってきたもんだから、ものすごい遠回りした(苦笑)。



-----エクストリームな領域に行っちゃうわけですね。

行っちゃうんです(笑)。当然、儲からない(笑)。



-----ハハハ。

80年代前半にESGやリキッド・リキッドがニューヨークにいたでしょ。オレ、当時のESGのインタビューをいまでも持っているんですよ。そこ“Rappin`”って言葉が出てくる。ブロンクスのゲットーの黒人の子供たちがやってるって。「いま、アレ、面白いよね」って彼女たちが話してる。81年か82年ですよ。そのあと、PiLを抜けたキース・レヴィンがニューヨークに渡って、そういう人たちと作ってるでしょ。



-----80年代前半は、ヒップホップが、それまでの音楽の方法論とは違うやり方で作られた、実験性のある音楽としても捉えられてもいましたよね。それこそ〈BLACK SMOKER〉はヒップホップをアートとして実践してるし、実験場にしてますよね。

だから〈BLACK SMOKER〉は、オレみたいな人間を受け入れてくれるんですよ。きっと。アートなのかはわからないけど、彼らみたいな精神を持った人たちはいま少ないというのは事実だと思う。だから、彼らは本当に貴重な存在ですよ。ヒップホップの何が革新的だったかというと、ひとつは、CDに取って代わられそうな時代にレコードを楽器化したことでしょ。ていうか、好き勝手な使い方をした。あれはある意味で“実験”フロム ゲットーじゃん。レコードの面白い部分にテープを貼ったり、傷をつけたりしてループさせたり。当時、BPMを変えられる装置はそんなにないわけで、手回しで速度を合わせたり。それはかなりクリエイティブでしょ。







-----そもそもOPTRONも楽器として使い始めたわけじゃないですよね。

これはあちこちで言ったり、書いたりしていますけど、コンテンポラリー・アートの領域でやっていくようになったプロセスのなかで、マテリアルとして蛍光灯を使っていた。それで、だんだん作品が蛍光灯だけになっていくわけです。大量の蛍光灯がガーッと点いている状態はある種サイケデリックだし、ものすごいインパクトが強い。強烈な体験ができる。でも、ほんとに物理的に大変なのね、セットするのが。200本近くなると、電気屋さんとかに入ってもらわないとやってられない。まあ、オレに知識と技術がないというのもあるんだけど。でも、もうちょっと簡易なシステムでインパクトの強いものと考えたときに、やっぱり明滅はすごいなと。天井についている蛍光灯を目の高さまでおろしてくると、けっこう脅威なんだよ。明るさとか強いんですよ。ましてや明滅は
直視できない。



-----蛍光灯から放電ノイズを出そうというアイディアはどこから?

蛍光灯が明滅するときにノイズが発生することは中学の頃から知ってましたよ。部屋でラジオを聴いていて、自分の部屋の蛍光灯を点けたり、消したりすると、深夜放送に乗っかって、バリッバリッっていう音がしたのね。それで遊んだり、ビートを作って面白がってた。放電ノイズの拾い方がわかってたから、明滅に合わせて、「音も出しちゃえ!」って。OPTRONのシステムは簡素なものですけど、音を出すとなるとネクストステージにいく。音を出すとなったときに可能性が広がったとも言える。いろんなことが試せるようになった。それで潔く、もっと音楽っぽく使うことをある時点からは、やりだした。



-----OPTRONが完成したのはいつぐらいですか? 98年ですか?

うん。OPTRONの原型を作ったのは98年です。その頃はまだOPTRONという名前すらなかった。蛍光灯のノイズを拾ったり、明滅をくり返す実験をしていたのが、97、8年です。そのあと、99年、2000年になって、人前で初めてやる機会があったときにOPTRONと名前を付けた。



-----なぜ、OPTRONと命名したんですか?

 視覚的なって英語でOptical(オプティカル)ですよね。で、電子楽器には「....tron」という名前のものが多いでしょ。じゃあ、OPTRONにしようって。最初は「OPTRONサウンドシステム」でしたね。なぜかと言うと、明滅をくり返すOPTRONの音を拾うシステムだから、サウンドシステムにしたんです。



-----なるほど!

 オレは2000年から2005年に代々木で「OFFSITE」というお店をやっていたんです。ギャラリー兼フリースペースで、毎週末、インプロヴィゼーションのギグをやっていた。民家の真ん中にあったから、ぜんぜん音が出せない。だから、極端に小さい音のライヴをやってた。電子楽器にしろ、生楽器にしろ、ほんとに限界ぐらい小さい音でやってた。それがたまたま音響派とかそういうムーヴメントと時期的に合致したんです。「OFFSITE」はギャラリーだったのに、音でけっこう有名になった。あの時代は世界中のアーティストが日本に遊びに来たり、演奏旅行に来てたから、ぜひやらせて欲しいという人が絶えず来てくれた。そういう経緯の中で、オレもそういう人たちといっしょにやったり、彼らのライヴを観たりしてたんです。



-----どういうアーティストが来ていました?

日本では大友(良英)さんや秋山徹次さん、中村としまるさんとか吉田アミちゃんとかSachiko MさんとかユタカワサキくんとかComume discには何度も演奏してもらいました。海外のアーティストだと、知る人ぞ知るですけど、現代音楽の巨匠のアルヴィン・ルシエがやったことがありますね。シカゴの音響派のムーヴメントのちょっとあとぐらいなんです。だから、けっこうそういう流れの人たちも来てました。インプロヴィゼーションの世界では有名なオーストラリアのオレン・アンバーチとか。観客として、クリスチャン・マークレーや元・フライングリザーズのデビッド・カニンガムが遊びに来てくれた時は嬉しかったな。



-----それは相当濃密な体験だったんじゃないですか。

インプロヴィゼーションとかいわゆるエレクトロニクスの音楽とか弱冠フリー・ジャズ寄りの人たちが出入りする店になっていったから、こちらも耳と腕はそうとう鍛えられた。自分が企画して自分が出るライヴもやっていたし、自分はオーガナイズ側に徹することも多かった。人を呼んでくれたりするのは各アーティストや関係者の協力があってできたことです。ある種の実験場として当時の「OFFSITE」 は機能した部分があった。2005年以降、オレはノイジーで爆音という印象があるけど、それ以前は微弱音でやっていたんですよ。狭いギャラリーの中で蛍光灯の明滅をやるとものすごい強力なわけです。



-----いま、〈BLACK SMOKER〉とやっていることに時代の必然を感じますね。

まあね、流れとしては。2003年にはOptrumというバンドを作っているんです、ドラマーの進揚一郎と。ハードコアとかブラストビート系にOPTRONを乗っけるのをやった。そこから爆音なんですよ。いまにつながる第一歩は、このバンドを結成して音を出したっていうことだと思ってますけどね。当時はよく、「反動かよ」って言われたけどね。でも、もともと爆音好きですよ。昔のパンクやハードコアとか、もっと昔のガレージバンドなんかで、音はチープだけど、意味不明にでかい音とかバカみたいにひずんでいる音とかあるじゃないですか。もともとそういう音が好きだし、オレはそんなにメタルとかハードロックにははまらなかったけど、MC5とかストゥージーズとか大好きでしたから。



-----ソロ・アルバムを本格的に作ろうと思ったことはこれまでありました?

 いちおう99年にOPTRONと名づける前の音を記録して出していますよ。CDRで100枚限定でしか出なかったんですけど、去年、〈OMEGA POINT〉というレーベルの“EXPERIMENTAL MUSIC OF JAPAN”シリーズからリイシューされて、音質もぐっと向上しました。 様々なパターンの明滅をくり返す蛍光灯の放電ノイズによる6トラックです。いま聴いても、オレはものすごく感動しますね(笑)。「いい音やなあ」って。そのときの蛍光灯はいまほどは楽器化されてなくて、蛍光灯を机の上に置いて録音してる。集音に関してもぜんぜん耐久性もなくて、不安定。不安定であるがゆえに、こんな音は2度と出ねぇなって音が録れるんですよ。それを記録した。『Pre OPTRON 1999』というタイトルで出しているんですけど、当時は音楽を作ろうとかアルバムを作ろうとかいうつもりはまったくなかった。ただひたすら実験をくり返していた。とりあえずやってたら、自分的に良い音というか、好きな音だったり、気持ち良かったりするから、全部DATに入れていた。8mmビデオにもその明滅の状態 を録画したり。



-----OPTRONの音と明滅の実験をするなかで、音の気持ち良さや音の快感という感覚もあるんですね?

気持ち良いの質もいろいろあって、開放感を感じる音もあるし、みんなそれぞれあるでしょ。そういう意味では違和感を覚える音。そういう気持ち良さ。なんだろう、あの感覚は。



-----いままで聴いたことのない音?

音楽としてはあまり聞き覚えのない音ですね。例えば、80年代にインダストリアル・ミュージックみたいな概念ができてくるじゃないですか。元祖はTGだけど、オレはノイ・バウテンとかが特に好きだったんですよ。80年代前半の彼らはほとんど楽器を使ってない。電動工具とか鉄板や鉄パイプを叩いたりしてるわけですよ。音楽という形態を解体する名目からやっているわけだけど、そこで鳴らされている音は、楽器が歴史を持って作られてきて奏でられている音とは違う。何か異質なんですよ。でもそういうものも耳に馴染んでくれば、音楽に聴こえてくる。そこにはすごくパラドキシカルなものがあるんだけれど、そういうのを含めて、違和感とか、一瞬ぎょっとする感じだとか、それがOPTRONにもあった。だから、「うるさい」とか「耳障りだ」とか言われると、ごもっともとしか言いようがないです(笑)。だって、もともと楽器じゃねーし(笑)。最近はあまり言われなくなりましたけど。昔は、客は帰るわ、「何をやっているんですか?」と訊かれるわ、いろいろでした。違和感やぎょっとするのも含めての新しい音……でも、別に新しくはないんだけど。



-----耳慣れない音ですかね。

そうそう。耳慣れない音ですね。そこに惹かれました。それと、自分が美術家なんだなと思うのは、その光の明滅状態がどういう風に見えているのかに興味がある。だから、ずっとヴィデオを回してた。古くなり過ぎて、映像はほとんど残っていないけど。それと、初期のOPTRONの特徴でもあるんですけど、人間不在なんです。OPTRONをいまみたいに手に持って演奏するようになるのは2005年からなんです。99年ぐらいから2005、6年ぐらいまでは遠隔操作で使っていた。人間が、つまりオレが表に立たない、あくまでもマシナリーなものとしてあった。



-----OPTRONを手に持って、楽器化しようと思ったのはなぜですか? 意識の変化があったんですか?

偶然と意識の変化と両方がありました。2004年にインスタレーションとライヴ・パフォーマンスの名目でマケドニア共和国に呼ばれたんです。マケドニアはウィーンを経由して行くんですけど、ウィーンの空港で、たまたま嫌な係員に出会ってしまい、蛍光管が持ち込めなかったんです。OPTRONは日本の規格で作っているから、向こうで蛍光灯を買うわけにはいかないんです。OPTRON の蛍光管を取り上げられることは、ギターは持っていっていいけど、弦は持っていってはいけないというのと同じなんです。トランペットはいいけど、マウスピースはダメとかね(笑)。大喧嘩しそうになったけど、暴れたら強制送還になるからねえ(笑)。



-----それはとんだ災難ですね……

とりあえず、マケドニアについてから電気屋に急遽行ってもらって、向こうで揃う素材を買って、たまたま一緒に行った人がハンダを持って来てくれていて、ホテルで作ったんですよ! そこで初めて手持ちのOPTRONを作った。しかも、原始的に自分で蛍光管をカチカチッてはめるとか、そういう風にして音を変える装置を作った。「意外にいけるな! これは面白い!」と思った(笑)。遠隔操作しているよりも、体に近いから反応がはやい。スイッチ・オンするのも光っているのも手元だと反応としてはむちゃくちゃはやい。オレにしかわかんない話かもしれないけどね(笑)。



-----より肉体化した感じですね。

まさにそうです。要するに肉体化していく作業が初めて生まれたんです。OPTRONは言ってみれば、ブザーみたいなものだから、打楽器的な要素が強い。だったら、手に持って、より肉体的な部分を強化していくことができるなと。それで日本に帰って来て作り直したんですよ。ウィーンのいじわるなオバちゃんに感謝しないと(笑)。「私がダメって言ったらダメなのよ」って言ってましたから。ものすごい不条理なことを言うんだよね。



-----ハハハ。楽器化して、即興演奏する形が変わっていった?

スゲー変わりますよ。持って振り回しているのはダイレクトですよ。さらにどアホ度が上がるじゃないですか(笑)。ベタな言葉で言えば、迫力が違う。



-----ライヴ感が違いますよね。ところで、そろそろアルバムの話をしましょうか(笑)。

そうだね(笑)。去年の年末ぐらいに〈BLACK SMOKER〉からオファーを受けたんです。「実験シリーズを始めたんですけど、やりませんか?」と。これは面白いなと。まさに願ったり叶ったりでした。彼らはもっとノイジーで、アブストラクトな要素が強いものを期待していたと思うけど。



-----僕も伊東さんがここまでトラック・メイキングに本腰で取り組んだのは驚きでした。

フォーマットとしてビート・ミュージックやポップスにほど遠いOPTRONをそこに近づけることに面白みを感じた。それがオレなりの実験でした。ビートを作ったり、作曲的な作業を導入してみようという初の試みですね。で、いよいよ着手しようと思ったら、3.11 の大地震があったんですよ。それでずれちゃって、5月ぐらいからやっとボチボチ作り始めました。結局8月前半迄かかった。



-----資料の文章に、“世界各国の所謂「民族音楽」や「辺境ポップス」的サウンドを聴きとる事は容易い”という一節がありますけど、なるほどなと納得しました。

 いま自分にとって、いろんな国のゲットー・ミュージックがいちばん面白かったりするんです。欧米のロックやダンス・ミュージックの影響を受けたぐちゃぐちゃしたゲットー・ミュージックです。トラディショナルなベースが基本にあったとしても、今後、発展性があるかどうかはあまり関係ない。みんな、そのとき出て来たものにダイレクトに反応しているわけでしょ。虐げられていたり差別されている人達のダイレクトなニーズを反影しているわけだから。アンゴラのクドゥロとかデトロイトのジットとかかなり面白い。アジアに目を向ければ、インドネシアのファンキー・コタとかもある。共通点は、どれもビートが高速というところだよね。ベースの音が極端に肥大しているか、まったくカットされているか。ドンシャリという概念がさらにいっちゃってる。ドンしかない、シャリしかない、みたいな。そういうのは好きで聴いてた。ビート・ミュージックの楽しさってこういうことだよなって。このアルバムでも、ダンスとまでは言わなくても、体が動くことは意識しました。それはオレにとって初めての挑戦です。まあ、ぜんぜんまだまだですけど。



-----〈BLACK SMOKER〉からリリースする作品ならではの実験をしようと。

うん。佐々木(敦)さんもライナーノーツの最後に書いてくれているけど、ヒップホップは実験の場だとも思うんだよね。メッセージを伝えることに最も適したスタイルだというのもわかりますけど、メッセージの乗せ方を意識してトラック・メイキングするときに、実際にはTHE LEFTYの言葉の乗せ方の上手さに相当助けられているんだけど(笑)、畳み掛けていくような言葉のビート感と、それともう1つ、微妙にずれた“タメ”っつーか“揺らぎ”みたいなもんを考える必要があった。それはオレにとっては発見だったし、ビート・ミュージックの、ヒップホップの重要な興味深いポイントだと思った。たぶん、これは理屈じゃなくてすごく肉体的且つ感覚的なことなんだけど。



-----なるほど。他方で、『Midnight Pharmacist』というタイトルは意味深ですよね。明確なコンセプトやヴィジョンがあるように思えます。直訳すると、“真夜中の薬剤師”となりますが。

Pharmacistの語源は、Pharmakos(ファルマコス)という言葉なんです。あるいは、Pharmakon(ファルマコン)という言葉がある。これは何かと言うと、あくまでオレの解釈ですけど、平たく言えば魔術なんです。それ自体は、野生のものであって人間にとって良いとも悪いとも言えない。使う人間によって、良くなったり、悪くなったりするんです。毒にも薬にもなるとかならない、という言葉があるじゃないですか。毒にも薬にもなるのは何なのかなと考えたら、Pharmakosという概念、つーか“技術”なんです。使う薬剤師や医者のさじ加減で色々変わる。“西洋哲学”とは対極にあるものっていうか……



-----善悪の問題ですか?

善悪を決めるのは人間側であって、善とか悪とかになる前の状態っていうか。それがPharmakosなんですよ。ちょっと雑な説明だけど。その間にあるものを調合する人がPharmacistで、その調合をするところがPharmacy 。誰にでもできることじゃないし、調合の度合いとそれをどう使うかが重要。



-----なるほど。

なぜ、『Midnight Pharmacist』なのかと言うと、いまの世の中では人知れず、こそこそ夜中に“調合”して“儀式”をするしかないからですよ。これだけ共同体を分断されて“既得権”とか“利便性”しか価値を与えられない世の中じゃあなおさらのこと。で、なぜ、THE LEFTYとやった曲が“Black Pharmacy”なのかと言えば、ダブル・ミーニングなんだけど、ひとつは“黒い製薬所”とは〈BLACK SMOKER〉そのもののことだからです。勿論、これはオレとしては良い例えとして言っている。THE LEFTY はストリートの“ウイッチ・ドクター”。そして、もうひとつは福島原発のことですよ。あそこはヒトの欲望が最も悪い形で致命的な最悪な劇薬として出ちゃったところです。だから、 リリックも弱冠、そういう内容になっているはずです。



-----いま話したコンセプトは〈BLACK SMOKER〉の人とは話していないですよね?

うん。話してない(笑)。それと、アルバム全体通して、プリミティヴな感じとか民族音楽的な要素を感じるのは当然だと思いますね。最終的にはパソコンで編集して、0か1のデジタルの世界で作り上げていくわけだけど、それ以前の部分が21世紀とは思えないほど(笑)、ものすごいアナログです。良くも悪くも揺らぎまくってる(笑)。クリック使ってBPM 合わせるとか、一切やってないし、サンプラーすら使ってない。CD-r のピンポン録音とか多用してるし、フィールド・レコーディングもやってるけど、“1000Signs”の後半の町の音や “Black Pharmacy” の後半の脱原発デモの集団パーカッション・セッションはこれだけ安価なポータブル・デジタル・レコーダー全盛の時代にあって、カセットで録っていますから。そういうアナログな空気感や物を実際に叩いたりする音とデジタライズされたものを調合するのがあえて言えばひとつのコンセプトですよ。いま言ったことがいちばん大事なことではないけど、あえて理屈をつければそういう感じです。それにしても、3.11以降の日本や世界というのは、なんなんだろうと思うね。いろんな意味でスゲェ時代に生きちゃってるなと。



-----こんなとんでもない国に住んでいたんだという意味で幻滅しましたけどね。

ああ、そうですよね。もちろん。だけど、知ってしまったんだから、何かしようよと。少なくともこれからもうしばらく生きて行くんだろうから、もう少しちゃんとしたいよね。オレは原発は止めたい。それは何でと言ったら、ヒトがヒトの力で止められないものは作っちゃダメという基本的な理屈です。生活レベルがいまよりさらに悪くなったとしてもね。そして、テメエの世代でケツの拭けないシロモノやゴミなんてオレはなるべく残したくない。広島、長崎の原爆やチェルノブイリに代表される原発事故からもけっきょく我々はあまり学んでこなかったってことになるじゃん。しかも、巨額の金を注ぎ込んでいたのを黙認していたのもわれわれだから。知らなかったのもあるけどね。だけど、知っちゃったけど、どうしますか?と迫られているから。今回ばかりははっきり言わないと。オレらの世代で終わりの話ではない。もう既にケツの拭けない、100年、1000年、それ以上の影響を及ぼすことをやっちゃってるんだよ。地球上の歴史から見たら、それはたいした長さじゃないかもしれなくても、その間の小さな動きとしてできるだけキチンと対応しないとダメでしょ。それはいま、生きている人間の責任でしょ。



2011年9月8日、阿佐ヶ谷にて。
(インタヴュー・文/二木信)







ARTIST : ATSUHIRO ITO
TITLE : MIDNIGHT PHARMACIST
FORMAT : CD
LABEL : BLACK SMOKER RECORDS
PRICE : 1,890円
ORDER : 注文する



http://www.blacksmoker.net
http://twitter.com/blacksmokerrec
http://www.blacksmoker.net/interview/akimoto-takeshi/